ボトックスの歴史
ボトックスの歴史について
毒から救済へ
塩水の樽に保管されたハム、不完全乾燥のニシン、十分に加熱されていない燻製した魚やハムなど、貧しい人々の食料と関連あるボツリヌスの事象は、おそらく古代から発生していました。
有名な「ベラドンナ中毒」のいくつかの歴史的なケースは、おそらく食中毒ボツリヌスによって引き起こされたようです。
例えば、1793年には、南西ドイツの村(Wildbad)で13人がボツリヌス症を患い、6人が死亡しました。
犠牲者のすべては散瞳(瞳孔の膨張)を示し、従って、医者は最初にベラドンナを疑いました。
Wildbadの事件は、後にブラッドソーセージが詰められた豚の胃の調理済料理ということが判明しました。
19世紀には、医師はWildbadの発生は独立の事件ではなかったことを認識しました。
確かに、貧しい人々の衛生の悪さはナポレオン戦争(1795年〜1813年)を契機とする経済不況に伴って、燻製のブラッドソーセージのボツリヌス症を含む、致命的な食中毒の多数の発生の原因となりました。
例えば、1802年7月に、シュトゥットガルトの政府は、燻製のブラックソーセージを食べることについて国民に警告しました。
ユスティヌスアンドレアスクリスチャンカーナー、ドイツの医師、詩人、医療ライターは、1817年〜1820年にボツリヌス毒性の最初のケーススタディを発表しました。
カーナーは1811年には医療将校としてのWildbadの仕事を通して、食中毒死とボツリヌスの関係について興味を持ち、後にBoNT「BoNT」と呼ばれた、「脂肪毒」または「脂肪酸」が食中毒原因ではないかと考えました。
彼は、この「酸っぱい」ソーセージから抽出された「脂肪毒」を鳥、猫、ウサギ、カエル、ハエ、イナゴ、カタツムリなどの様々な実験動物に投与しました。
それに加えて、カーナーは、「脂肪毒」を自分自身でテストし、舌の上に数滴垂らしたことで、口蓋と咽頭の著しい乾燥が引き起こったことを指摘しました。
1822年のモノグラフでは、カーナーは酸っぱいソーセージからの「脂肪質の毒」が神経伝導を妨害し、病理学的な興奮性亢進を減らし、ボツリヌス症を引き起こしすと提唱しました。
1869年に、ドイツの医師ジョンミュラーは、ソーセージのラテン語「botulus」から「ボツリヌス」という用語を造りました。
ボツリヌス菌の発見
毒素の発生の正確な理由は、1895年まで明らかではなく、この年に、ゲント大学で働いていた微生物学者であるEmile Pierre-Marie van Ermengemが、汚染されたピクルスとスモークハムから嫌気性微生物を単離しました。
このハムは、ベルギーの村、Ellezellesで葬式が行われたボツリヌス犠牲者によって食べられたものでした。
van Ermengemは、この微生物をボツリヌス菌と呼びました。
しかし、1890 年にドイツの医師Ludwig Brieger が「毒素」の用語を造って初めて、カーナーとvan Ermengemの結果が関連付けられました。
1917年には、アメリカ微生物学者協会は、細菌の種類の特性と分類について細菌、クロストリジウムを「2つの異なる」シリーズに区別しました。
「細菌は有酸素微生物である」と委員会が示唆しました。
それに対して、クロストリジウムは嫌気性、棒状の細菌です。
Ida Bengtsonは、クロストリジウムの分類学は、嫌気性であることに加え、特にボツリヌスの原因である菌株にふさわしく、ボツリヌスは、紡錘形、オタマジャクシ形、または楕円形であり、他の嫌気性属からクロストリジウムの種を区別するのに役立ちます。
死亡者数に関わらず、van Ermengemは、ボツリヌス菌が一般的に病原性ではないことを発見し、毒素が臨床ボツリヌスを引き起こすというカーナーの推論を認めました。
当初、微生物学者はボツリヌス菌によって生成された毒素で汚染された食品が、すべての成人にボツリヌス症を引き起こしたことを信じていました。
しかし、1931年にカリフォルニア州では、乳児がボツリヌス症と思われる症状で死亡した事件をきっかけに乳児がボツリヌス症になるのではないかと考えられるようになりました。
この乳児を最初に診察した臨床医は鑑別診断中に、食中毒のボツリヌス症の可能性を考慮しましたが、結局、患者は脳炎と診断され退院しその後、死亡しました。
1979年にこの症例を見直した研究者は、これは最初に記録された乳児のボツリヌス症のケースだったと診断しました。
このケースは、おそらく汚染された乳製品の摂取が原因だが、1970年代に研究者が赤ちゃんの腸にボツリヌスの胞子を発見しました。
一方、1945年には、ニューヨーク州コロンビア大学のイワンクリフォードホールは、重篤な非感染の2つ裂傷からボツリヌス菌タイプA (BoNT-A)または、重度の開放型骨折からタイプBを単離しました。
乳児と創傷ボツリヌスのこれらの単離は、食物以外の伝送経路の認識の高まりをもたらしました。
微生物学者もCボツリヌス異種であると認識を高め、1910年の論文では、ベルリンの感染症王立研究所の微生物学者J. Leuchsは、1904年に発生した缶詰の白い豆によって引き起こされたボツリヌス症をもたらしたボツリヌス菌が、Ellezellesハム内で発見されたボツリヌス菌と異なること、そして毒素が血清学的にはっきりと異なることを認識しました。
1919年には、スタンフォード大学のジョージナバークは、家庭の缶詰野菜や果物から中毒の発生による5つ菌株を含む、Cボツリヌスの12菌株を検査しました。
抗毒素の反応に基づいて、微生物学者バークは、2系統を単離して、結果的にA菌株とB菌株として指定しました。
1924年には、Bengtson は、ヒロズキンバエ シーザーと呼ばれたグリーンボトルフライの幼虫から分離されたC-型のボツリヌス菌を報告しました。
微生物学者は現在、ボツリヌス菌の4つの表現型のグループと遺伝的の系譜(タイプI〜IV)と、BoNT が7つの異なる抗原型(指定タイプA〜G)に存在することを認識しています。
1928年に、カリフォルニア大学の研究者は、コロイドアルミニウム水酸化物上の選択的吸着、二次リン酸アンモニウムとの溶出、透析、および蒸発を使用してBoNT-A(ボツリヌス菌毒素)を化学的に精製したことを報告しました。
このプロセスは水に易溶した、安定した淡茶色の乾燥した粉の形態のBoNT-Aを生産しました。
1946年には、フォートデトリックのCarl Lamannaらと結晶BoNT-Aを精製しました。
これは、斜視をはじめに、BoNT-Aの治療の応用のための道を開きました。
美容医療におけるボトックス
BoNT-Aによって審美的な医学で提供される可能性は、最初にスコットの斜視の先駆的研究の後ですぐに浮上しました。
長年にわたり、多数の多施設、二重盲検、無作為化、プラセボ対照研究では、BoNT注射は、眉間線の重症度を減らすために、また他の美的徴候でも安全かつ効果的であることを確認されています。
眼瞼と顔面のけいれんの治療を受けている患者は、BoNTを受けた後にシワや偏頭痛が改善したことを報告しました。
同様の報告書により、いくつかの臨床医はBoNTの美的可能性を検討することになりました。
例えば、ニューヨーク州のコロンビア・長老派医療センターの研究者は、BoNT治療後に、眼瞼、顔の上部または下部を含む「Meige」症候群、顔面けいれんと「ベル麻痺顔の共同運動」の患者でシワの消失が見られました。
BoNTの可能な美的使用の最初の公式な報告書は、1989年に、カリフォルニア大学デービス校で、リチャード・クラークとクレイグによって作成されました。
52歳の女性は、目尻の笑い皺いわゆる「カラスの足」のための2回目のシワ取り手術を受けており、これにより、この患者は左前頭神経麻痺となりました。
クラークとシンビリスは、ボツリヌス菌毒素製剤を右側の前頭筋、皺眉筋などに注入しました。
その結果、前頭筋、皺眉筋の収縮によって引き起こされる額の過度のしわと誇張された顰め顔「しかめかお」に関して満足いく改善となりました。
2人の論文は、1988年1月に形成外科学会に提出され、ボツリヌス菌毒素製剤の審美的な徴候の使用についての最初の文書化でした。
また、最初の査読の出版物でした。
すぐに様々な学会からボツリヌス菌毒素製剤を使ったの多数の出版物が続きました。
1992年1月には、Carruthers and Carruthersは、ボツリヌス菌毒素製剤注射が、3〜11ヶ月にわったて17名の患者で眉間のシワを改善したことを報告しました。
同年4月、コロンビア・長老派医療センターの研究者が、パームスプリングスにて米国顔面形成外科学会の会議にて過活動前頭筋肉と広頸筋に対するボツリヌス菌毒素製剤の使用について述べました。
すべての患者は、痛みを伴う収縮や見た目のよくなの過活動ラインと痙攣の部分的または総消散を経験し、効果は3〜6ヶ月持続していました。
BoNTの安全性と有効性を文書化した大規模な無作為化対照試験により、2002年に米国食品医薬品局(FDA)にボトックスとして承認されました。
ドイツでは、アボボツリヌストキシンA(ABO)は、2006年に初めて眉間のシワ治療の審美的な改善向けに発売されました。
その後、欧州全域で、患者に重要な心理的影響を持っているときに、中等度から重度の眉間のシワの治療のために “Azzalure”(ガルデルマ, パリ, フランス)という商品名で2009年に承認されました。
将来:
製剤の進歩
BoNT-Aの他の形態とABOの注射は、痛み、内出血、眼瞼下垂、抗体産生などの望ましくない副作用を招く可能性があります。
また、一部の患者はただ単純に針に恐怖心を抱いています。
これらの問題を避ける製剤および投与方法は現在の研究の焦点です。
適合した治療
審美的な治療を受けたい患者は、体格、自分の外見、そして、何を変えたいのかが異なっています。
近年では、定石的な注入パターンでは十分でなく、個々の患者様に合わせた量、ポイントを調整するプロトコルに置き換える必要があることを提案しています。
当院でももちろんこの戦略を支持しています。
この戦略により、個々のための結果を最適化し、投与量と注射の数を減らすことができます。
併用治療
顔の老化は、硬さ、滑らかさの消失、顔色の輝きの損失、肌の色と均質性の変化によって特徴付けられます。
顔全体の自然な若返りを実現するためには、これらのすべてが対処される必要があります。
今日、動的なしわを修正するBoNT-A、ボリュームアップのための「フィラー」( ヒアルロン酸のような [HA]、カルシウムハイドロキシアパタイト、ポリ-l-乳酸、および自家脂肪組織)、および皮膚のたるみやくすみを戻すスキンピーリング、アブレーションレーザー、コラーゲン刺激治療(血小板豊富な血漿など、マイクロニードリング、および高周波/超音波治療)など、これらを調整して併用すると、それぞれの治療アプローチよりも、同じ(またはそれ以上の)結果を、患者にとって潜在的に短期間、かなりの低費用で、より支障が少なく得ることができます。
また、この全表面処理タイプは患者の満足のスコアが非常に高いことも判明しています。
肥厚性瘢痕のためのボツリヌス菌毒素製剤
多くの動物研究で、肥厚性性瘢痕の治療がボツリヌス菌毒素製剤(BoNT-A)注射で顔の傷の美容的外観を大幅に向上できると実証されています。
しかし、ヒトに対しては大規模な無作為化試験が行われておらず、まだ推奨するには至っていません。
既に形成されたケロイドの処置に対する有効性を示す証拠は、はるかに説得力が少なく、より多くの調査が要求されます。
にきびと酒皶(酒さ)
にきびの原因について完全な理解がなされているわけではないが、皮脂の生産の増加を含む皮脂腺の機能の変化は、重要です。
BoNT-Aは皮脂の生産を減少させることが示されており、おそらく脂腺細胞でアセチルコリンの活性を遮断することによって、皮脂を減少させます。
そのため毛穴のサイズを小さく効果もあります。
アセチルコリン伝達の阻害はまた、紅斑とフラッシング、「酒さの主な症状」の予防に関与していると「フライ症候群」の患者で実証されています。
フライ症候群は、唾液の生産が起こるたびに発汗とフラッシュを引き起こす耳下腺手術の神経学的後遺症です。
このフライ症候群の患者様に対してボツリヌス菌毒素製剤による治療が試験的に行われ、高い効果が得られています。
フライ症候群の症状は酒さと似ておりしたがって、ボツリヌス菌毒素製剤は、酒さの治療に有効ではないかと期待されています。
乾癬
2008年に、Zanchiet らは、乾癬患者15名に対し、発汗と炎症を軽減するためにボツリヌス菌毒素製剤(50〜100単位、乾癬の範囲と重症度の応じる)を使用しました。
臨床写真および痛みとかゆみがある患者の主観的評価から、治療が症例の87%で成功していたことが示されました。
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